多事暴論2 龍馬はどこへゆく

だいぶ前の話になるが、実家に帰っていたときに親が見ていたので、一緒に大河ドラマ龍馬伝』を観ていた。例年以上に大河が話題になっていて、あっちこっちで龍馬龍馬、今こそ龍馬みたいな流れですしね。
で、相変わらず小学校で習ったような歴史ストーリー、すなわち「鎖国をしていて制度疲労を起こしている江戸幕府⇒黒船がきておったまげる⇒幕府が諸藩に意見を求めるとか、刀の時代じゃないとか、尊王攘夷とか、倒幕とか歴史が大きく動き出す」のまんまだったわけだが、ふと受験勉強から遠ざかって改めて考えてみると、こうした昔ならった諸々が色々と腑に落ちない。思いつくままに列挙してみよう。

  • 長崎には外国船がきていたわけだし、現にラクスマンとか三浦按針とか、ペリー以前にも海外との交流があったはずなのに、どうして黒船ばかりがクローズアップされるのか。-そもそも本当に明確な意図をもって鎖国をしていたのか。対オランダとの貿易なんかはかなりの額だったと聞いたことがあるぞ?当時の航海技術だったら、外国との交易なんてどこもそんなもんだったんじゃないのか。幕末頃が、たまたま世界的に交易範囲が広がっていたころなんじゃないのか。
  • そもそも今みたいな「国」の概念をどれほど認識していたのか。「日本国」とか「日本人」などと、一般人が自分達を客観視できていたのか。
  • 「もう刀の時代じゃない」なんていうセリフがでてくるが、そんなもん戦国時代からして既にそうだろう。現に直後の戊辰戦争では派手に鉄砲でドンパチしているではないか。剣術は実践的な武術では既になく、無理やりたとえるなら宗教に近い精神的な存在、あるいはガバナンスの道具だったのではないか。
  • 長らく歴史の表舞台から(少なくとも教科書上は)遠ざかっていた天皇が、なぜ幕末に急に担ぎ出されるのか。天皇はそんなに権力をもっていたのか。
  • 薩長土肥あたりなんかは散々「尊王攘夷!」を唱えて狼藉をはたらいた後に、今度は「開国だ」と一転し、要するに「倒幕だ」となって結果的に明治維新になったわけだが、そんな彼らに果たしてまともな状況把握や意図や国家像があったのか。駄々をこねたらたまたまそうなっちゃっただけなんじゃないのか。
  • そう考えると、江戸幕府の方がよほど健全な思考と外交をしているように思えるが、ではなぜいわゆる「不平等条約」を結んでしまったのか。屈服したのか、意味が分かっていなかったのか。

誰か詳しい方、教えてください。