国宝三昧 1

せっかく卒論を出したというのに、なんのかんのと野暮用で忙しくしていまして、イヤになっちゃう。楽しいことしたい。もうすぐ学生時代も終わってしまうわけで、今のうちに学生にしかできないことをしておきたい。
…というわけで、大阪に行って米朝師匠をきくことにした。直前だったが探してみたらチケットが取れた。思い起こしてみたら京都に友達がいたので、泊めてもらうことにした。ついでに京都を観光することにした。それ以外のことは殆ど決めないまま、というか決める暇もないまま、新幹線に飛び乗った。
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桂米朝上方落語の重鎮で、人間国宝である。戦後、大阪の落語家はかき集めても十数人しかおらず、しかも5代目松鶴、2代目春団冶といった人気者が数年の間に相次いで亡くなった。そのわずかな間に先人の遺産を吸収し、また現代に通じるようにアレンジしていったのが、6代目松鶴(故人、鶴瓶の師匠)、文枝(故人、三枝の師匠)、3代目春団冶、そして米朝である。中でも米朝師匠の知性はぬきんでており、喩えは強引だが本居宣長みたいな位置づけだ。米朝師匠がいなかったら今日の上方落語の隆盛は無いといってよい。その功績はどれだけ讃えても過ぎることは無い。
…と、例によって見てきたように話すが、特に大阪の落語は映像で何回か見た程度、よく知らない。小さん師匠にも志ん朝師匠にも間に合わなかった若造だが、仮にも落語好きを公言する身として、同時代を生きることができた幸運を享受してまいろう。と、大阪から電車を乗り継ぎ箕輪メイプルホール、米朝一門会。
肝心の米朝師匠、残念ながら落語をなさらなかった。耳の悪い人の小咄を2つほど、あとは自分のお歳の噺や、小米朝がわざと違う時間を教えて早く高座からおろそうとしただとか、とりとめのない「よもやま噺」。演出なのか本気なのか、「何喋ろうと思ったんだっけ。他に何の話があったっけ」と、袖のざこばに聞いたりしている。そのざこばいわく、体調によるのだそうで、調子のいいときは目を見張るような名演を見せるのだが、今日のように調子が悪いときは、話がいったりきたり、同じようなところをぐるぐる回るらしい。
たしかに映像で観たときよりもお年を召し、心なしか細くなられたように見えたが、それでも綺麗であった。「もう何を喋ってもいいと思ってますのや。どうなるか自分でも分かりまへん」という旨をご自分でも語られていた通り、何が飛び出すか分からない高座、今までとは違う突き抜けた芸が観られるかもしれない…が、残念ながら追いかけるには関西は遠すぎる。
他に、佐ん吉「道具屋」、米左「七段目」、都丸「鯛」、ざこば「桃太郎」、南光「壷算」。
三代目桂米朝、本名中川清、大正14年生まれ、今年11月で82歳。こないだ亡くなったいとし師匠が同い年で、こいし師匠が2つ下だという。
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大阪市内の滞在時間は4時間ほど。
ついてびっくりした。いや、当たり前なのだが、街の人がみーんな大阪弁なのだ。大木こだまみたいな顔したおっさんが、街歩きながら普通に「不思議やわぁ」と言ったりしている…って、こっちこそ「不思議やわぁ」。
環状線大阪城公園駅、大阪城を見て谷町四丁目、地下鉄で谷町四丁目から天王寺天王寺公園を歩いて抜けて通天閣、新世界を抜ける。

地下鉄は高いし、町並み拝見がてらとにかく歩く、歩く、歩く。堺筋を北上して、左に切れてなんば、いわゆるミナミ、法善寺横町
法善寺横町は、数年前2回にわたり火事にあったが、見事に再建された雰囲気ある細い商店街。夫婦善哉を食す。2つのお椀で一人前。「夫婦善哉」という映画も作られた。主演はあの森繁久弥。横丁の東西の入り口にはそれぞれ看板があって、東側を書いたのは、先ほど名前を挙げた3代目春団冶、西側は藤山寛美(故人)、藤山直美のお父さんである。…と書いた薀蓄はどれも知識として知っているものであって、映画も春団冶も寛美も実際に見てはいない。

戎橋も道頓堀橋も工事中で残念だったが、グリコをはじめとするネオンネオンネオン、くいだおれ人形、かに道楽のカニ看板、と、やはりどこか違う文化を感じた。
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長くなったので続きはまたいつか。
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そうそう、旅の幕開けは東京駅で買った崎陽軒シウマイ弁当であった。