終わりなき旅

面白い一年だったと思う。
…といえるのは今だからであって、特に年始の低調ぶりは犬も食わないほどで、1年間、1日1日を過ごしていた自分自身は、青息吐息、あくせく息をきらし、かくも辛く、とことん恥ずかしく、いつだってこうべをたれていた。
ということが、だからこそ、今となっては面白い。私の、歴史というほどではないけれど、今までと照らし合わせてみても、ちょっと不思議な一年だった。
要するに、ここ数年入れ込んでいたことをあまりしていないのです。すし屋には1回だけ、天ぷら屋にはなんと1度も行っていない。もちろん港に買出しに行くような余裕もなかった。
落語を生で観たのは、わせだ寄席*1と、年末の談志だけ*2。映像でもほとんど観てない*3
映画も、全然観てない…と思って数えてみたら、映画館で9本、記録媒体で5本だった。もっと少ない気がしていた。どうにしろ年百本見ていたころから比べれば随分少ない。第一、「これは」というのにもあまりあたらなかった。観た中では「嫌われ松子」かしら。
本は、特に年の前半はよく読んでいた。谷川俊太郎よしもとばなな向田邦子との出会いは、いや、再会は、かけがえのない瞬間だった。
その代わりに何をしていたかといえば、毎度言う、就活、本の出版、卒論だ。言葉にしてしまえば一瞬だが、それぞれに障害があり、助太刀があり、ブレイクスルーがあり、つまりはドラマがあった。就活はめぐりめぐって唐突に着地をしたが、出版と卒論準備は恐るべき長期戦となった。元々、「大学では形に残らないことに力を注ごう、肩書きや既成事実を作ることには興味がなく、ひっそり自分の糧を増やしていこう」とだけ思っていた。なのに終わりに来て、気づけばこれ以上なく「形に残る」ものを作ってしまった、もしくは作ろうとしている最中である。何という皮肉だろう。
ハードルはくぐるものだと思っていたのに、「高ければ高い壁の方が登った方が気持ちいいもんな」と歌っている。そうか、今までは飛び越えたいと思うやりがいに対峙しなかっただけなのか。誰のためでもない、ただこれまでの自分にウソをつくようなものだけは作りたくない、という気持ちを、多分始めて味わった。
振り返れば、今年、私はいつも一人だった。
いや、客観的に見て、これほど人に恵まれていた時期は久しぶりなのである。私の口癖のひとつは「友達がいない」だが、その多くは、あらゆるコミュニティーに属してこなかったことに起因する。その理由はさておくとして、今年は研究室という居場所があった。たとえ夏休みも、ほぼ毎日のように(いやいやながら)迎え入れてくれる仲間達がいて、師匠がいた。本の執筆に関しても、熱心に相談にのってくれる編集者がいて、無償で協力してくれた友人諸氏がいた。
でも、だからこそ余計に感じるのである。一人だった、と。少なくともここ数年、判断や価値基準を他人に転嫁する癖があったのだが、どういう巡り会わせか、すっと離れていって、もしくは自発的に離れて、いい意味で身軽になった気がする。早い話、怒られようが馬鹿にされようが恥をかこうが「まぁいいや」と思うようになった。珍しくあちこちに顔を出したし、ついでに学園祭で落語まで喋ってしまった。
そう、少しだけ、むごたらしさを隠さなくなった。揺れている自分に臆することがへった。つまりはずっとあたふたしていた。やたらと癇癪を起こし、八つ当たりをし、すぐに飽和し、混乱し、逃げ出したくなっていた。珍しく向き合ってきた分、いざ過ぎ去っていくと途端に実感を無くしていく無常感が、せつなさと不思議さを同居させる。
いろいろな経験ができたが、身につけられたことといえば、「困ったらペンディング」という術を覚えたくらいで、相変わらずの体たらくである。あえて言うならば、世の中には自分の力ではどうにもできないことがあることと、それでも、時間をかけて知恵をしぼって苦労すれば、少なくとも何かが代わりに転がっているらしい…ということに気づけたのは、悪くないかもしれない。
書いても書いても終わらない卒論を、来年頭に首尾よく提出できれば、そっから先はほとんどまったく予定も展望もない、きれいさっぱり白紙の未来である。
みなさま、よいお年をお迎えください。

*1:志の吉「牛ほめ」笑志「転宅」文都「犬の目」志の輔「親の顔」

*2:よみうりホール。「権助提灯」「文七元結」。よかったけど、やっぱり芝濱がよかった。文七とは話の完成度が違う

*3:TBSの深夜の談春「三軒長屋」くらいか。テレ東で落語番組が始まったので観てみたが、あまりにひどくて3分でやめた。