鬼押出し浅間園

浅間山といえば、言わずと知れた活火山である。長野と群馬の県境に位置し、噴火すると、南麓の避暑地軽井沢に降灰することもあるという。最近では2004年9月1日、21年ぶりに爆発して活動を再開した。その頃山陽を旅行しており、広島でニュースを聞いた記憶がある。
1783年(天明3年)に大噴火したときには、遠く江戸にも降灰があり、関東中部では降灰のため昼も暗夜のようになったそうだ。その際噴出した溶岩は、「火口で鬼があばれ岩を押し出したようだ」という印象から、「鬼押出し(おにおしだし)」と呼ばれている。
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鬼押出し浅間園に行ったのは、中学の林間学校のときだった。火山博物館に入ったか定かでないが、自然遊歩道の記憶は鮮明である。黒くごつごつした溶岩がそこかしこに転がってい、なるほど実際に鬼ヶ島があれば、きっとこんな風景だろうと思わせるいかめしさだ。舗装された小道を歩くと、間近で岩や高山植物を楽しめるようになっている。
今以上にせっかちだった私は、すたすたと歩き、後ろを振り返っては「まだかぁ、早く来おい」と班員達をせかしていた。…と、前を向き直ると、道がない。小道が左に曲がっているのに気づかず直進したからだ。バランスを失った上半身を支える大地はそこになく、私は道を外れて岩場に落下した。
2回ほど斜面を飛び跳ねて、2、3メートル、もしかしたら5メートルほど下でようやく着地できた。上では班員達が大騒ぎで、「先生を呼んで来い」と叫びながら右往左往している。「だいじょうぶだいじょうぶ」と声をかけ、岩場をよじ登った。そこまで急な斜面ではなかったし、とっかかりも多数あったので、いわゆるロッククライミングよりずいぶん楽であった。
自由行動時間が終わり、バスに乗り込む際、担任に「岩場に落ちました」と報告した。そこはU先生、心得たもので、私の上気した顔をみると、うろたえることもそれ以上問いただすこともなく、「分かった。後で聞く」とおっしゃった。そしてバスが動き出してから、先生から「そこのマイクでみんなに聞こえるように報告せよ」との指示、私はまるで武勇伝や冒険談を語るかのように、嬉々としてコトの顛末を話した。
岩場をよじ登る際は、否応なくひかりごけを踏みしめ、もちろん手でもさわることになったが、登りきったとき、隣には「ひかりごけにはさわらないでください」という立て看板があった…というのは、さすがに話したときの脚色か、記憶のいたずらだろう。
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考えてみれば、前方不注意による事故はこれが初めてではない。スイミングプールに行く際、よそ見をしながら自転車をこいでいて、縁石に正面衝突し、タイヤを派手にパンクさせたことがある。自転車同士で接触した経験など、枚挙に暇がない。
あれは小学校1年の時、T字路で交通事故に遭った。友達の家に遊びに行こうと1人駆けていた私は、かなり細い道から、やや細い道に飛び出したとき、車にはねられた。相手は確か白い車だった。運転手の男性は、ドアを開け、「大丈夫?」と聞いた。まるで転んで傷を作った後のように、「だいじょうぶ」と答えた。すると車は、走り去っていった。
それからが大騒ぎである。友だちのお母さんや、近所のおばさんや、もちろんうちの母親も出張ってきて、目撃者はいないかとか、そのまま行っちゃうなんてひどい運転手だ、とか、喧々囂々たるありさまだ。近状のおばさんは、「とっさにナンバー覚えるっていうのも、子供には無理な話よね…」と言った。うちの母には、心配された記憶がない。とにかく滅多やたらに怒られた。せめてひとつくらいは褒められようと、「でも、泣かなかったよ」と威張ったら、「ばか、こういうときは泣いた方がいいんだ」と余計怒られた。
どう打ったものか、怪我は右頬と左足首であった。(もしくは左頬と右足首)。「あそこは気合で治している」という評判の、近所の接骨医院で診てもらったら、院長先生はレントゲン写真を見ながら、元気よく「うん、だいじょぶだ」と言った。たしか湿布だけ処方された。
現在、私の顔は左右でけっこう歪んでいるのだが、案外この事故の後遺症なのかもしれないと、今さらながら思っている。
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子供が事故や事件に巻き込まれたニュースを見ながら、よく自分はここまで大きくなれたな、と思うときがある。
歩道を歩く子供達に車が突っ込む事故(事件?)をときどき聞くが、いつだったか、当時のアルバイト先のすぐ近くでそれが起きた。犠牲者の方のご自宅が近くにあるというので、ちょっとだけ遠回りして通ってみると、記者達だろう、たくさんの人たちがご遺族の帰宅を待ち、張り込んでいた。「いつ帰ってくるのかも分からないのに、マスコミの人は大変だなぁ」と、隣にいた人がつぶやいた。
そういえば、高校の時、同じ学年の子が交通事故で亡くなった。一緒のクラスになったこともある子で、ニコニコした笑顔が印象的な好青年だった。「いつも遅刻ばっかりしているくせに、どうして先に逝ってしまったんだ」という弔辞に、胸が痛んだ。
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林間学校の記念文集の表紙には、はじっこの方に、落下する私のイラストも載っている。イラストの作者で、落下現場にも居合わせた彼女には、後で「けろりんぱとした顔で笑い話にして!こっちは寿命が縮まったよ」というようなことを言われた。
心配かけまいと努めて落ち着いた声を出したし、無事だったのでどうせだから笑い話にしたが、落ちていく、時間にしてほんの数秒の間は、全身から汗がふきだして動揺し、「死ぬかもしれない」と思った。何せあたりは鬼が押し出した岩だらけである。
歳をとるにしたがって、特に車の免許を取ってからは、自転車の運転で無茶はしなくなったが、それでも時々、細い通りを曲がる時、急に車がつっこんでくる想像をすることがある。どんとはねられ、自分の身体が宙を浮き、道路にたたきつけられる幻想が、不思議な現実感を伴って襲ってくる。あれはいったい、どういう事情なのだろう。