ふだん映画やテレビを見てもあんまり感情移入することはないのだが、たとえば津波に流された街をのぞむ高台から、少女が、「おかーさーん」と涙を流しながら叫ぶ映像にはもらい泣きしそうになり、つらくてつらくて、直視できない。
本当に悲しいことです。ことばがありません。
未曾有の、とか、戦後最大の、とか、壊滅的、とか、国難、とか、おどろおどろしい枕ことばにもいつしか慣れてきて、めまぐるしくもそれが日常になっていく日常を過ごしながら、ふと外国人が盛んに国外退避をしているというニュースを観ると、なるほど、煙をあげている原発から150マイルほどのTokyoで、余震もあり、電車は混乱し、いつ消えるかわからない電気、真っ暗な駅前、おまけにAERAじゃないが本当に放射能がきておちおち水も飲めない、これから本当に大丈夫なのか日本人が母国語のニュースを観たって判然としないのだからとりあえず逃げ出すのも無理はないわけで、改めてたいへんな事態なのだと思う。
海外のニュースでは、炊き出しにもきちんと並んだり、相手を気遣う、秩序や思いやりの文化が注目されていると聞く。このあたりはわれらがニッポンの面目躍如だが(とはいえ火事場泥棒とか募金箱をくすねる輩もいるようで、いい加減にしろ恥を知れと怒鳴り散らしたいところであるものの、こうした文化がいつまで続くのかは個人的に疑問である)、しかしこうした美徳も、どうも出る杭を打ち思考ストップする妙な国民性と表裏なのではないか、とこのごろ思えてきた。
呆然として日和ったり脅えたりで忙しくまともな思考回路をたどらなかった震災直後から、すこし時間がたって落ち着いて考えてみると、色々と腑に落ちないことがある。
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そもそも「自粛しろ、被災者のことを考えろ」という(大抵被災者じゃない人の)発言も、「自分に出来ることがあれば喜んでしよう、節電に励もう、停電も受け入れよう」という発言も、どちらも考えることを放棄して白旗をあげている点では変わりが無いのではないかという気がしてならない。
だいたい「節電」という言葉がいただけない。渋谷駅を降りれば真っ暗でどこも店はあいていず、いつ電気や電車が止まるか知らんからサーバやら機械やらを無理矢理止めてさっさと帰宅させられているのであり、これは節約の範疇ではない、国民生活と経済活動を放棄しろ、と言っているのである。1週間なら構わないよ、だが短期的にも火力発電所が復活するまでの数か月、長期的には原子力に変わる電力を確保できるまでは数年単位でこれが続くのだ。ましてはいま3月は決算期、この状況でもつわけがないではないか。倒産する会社が続出したら復興費用だって寄付だってままならないのである。
基本電気は保存できないから、燃料の観点をさておけば、問題は総量ではなくピークであるはずだ。つまり、ピーク時にいかに限界をオーバーさせないかが争点となるべきで(この時期のピークは18:00-19:00頃だそうだ)、夜中に暖房をつけずに風邪をひいて昼間電気毛布を出してきて寝ているとか、今まで深夜働いていた人たちを、早く帰りなさいとわざわざ帰宅ラッシュに殺到させて各々の活動をさせたら元も子もないのではなかろうか。たとえば仮に電車の消費電力が大きいのだとしたら、電車運行はピーク時4割減らします、その代わり早朝深夜の時間や本数を増やすから、サマータイムのように就業時間をずらしてください、とか、極端な話、製造系の工場は深夜操業にするとか、停電時間じゃなくて休日を輪番にするとか、これら思いつき案の実現可否はともかく、とにかくそういう観点から知恵を出し合いたい。
東京電力は停電地域を25のグループに細分化すると発表し、不公平があってはいけないから23区も電気を止めようと某政治家さんは言っているらしいが、そもそも問いのたて方が間違っているわけで、いちど既定路線ができるとその枠の中でしか考えられないのはいかにも貧しい、仮にも電力会社や経済と産業の大臣を名乗るなら、電気を止めない方向に旗を振ってしかるべきと思う。
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身を賭して任務に当たる最前線の方には、ただただ無事と成功を祈るばかりだし、今はまだこんな話をする段階ではないのかもしれない。SEのハシクレが、ちょっとした障害対応を担当した経験で物を言うのも何ともおこがましい。それでも、それでも、初期動作に成功したならば、もう少し違った結果になっていたのではないかと思わずにはいられないのが原発事故である。
自分が理解した範囲では、今回の最大の不幸にして根本原因は、津波によって電力系統が待機系も含め全てストップしたことで、その影響は、(1)あらゆる計器や照明が使用不能になったことであり、(2)冷却機能を失ったことであった。その結果、水素爆発を阻止できず、これもまた不幸なことに使用済み燃料の処理施設が無いため施設内に仮置きされていた使用済み燃料起因の放射性物質が拡散してしまった。
今となってはこう整理できるものの、初期の報道で影響(2)の冷却については言及されていたはずだが、根本原因「電力ストップ」と影響(1)「計器照明使用不能」はあまり耳にした記憶はなく、少なくとも私がその内容を理解したのは、3/13(日)の大前研一氏の解説であった(http://p.tl/HhaA)。
現場が混乱していたのか、東電幹部や政府まで情報が行っていなかったのか、報道機関が咀嚼できていなかったのか、単なる自分の情報リテラシー不足かはおぼつかないが、震災直後の初期の状況からして既に「保守運用」フェーズの対応者では完全に手に負えないことが今となっては明らかだ。ならば旗色が悪くなって逃げ出さざるをえなくな(って恫喝され)るずっと前から情報を開示して、ALL JAPAN、のみならず世界中から英智を結集しなくてはならなかったのだろう。すなわち、同原発の設計意図から構造までを熟知しているかつての責任者であり、原子炉自体を設計したGEの担当者であり、あるいは、電源が無いなら非常電源のあらゆる手段であり(アメリカGE製のため400V,6000Vと電圧が日本とは異なるそうだ)、冷却するためのあらゆる手段であり(消防庁とかに声がかかるまでに大分かかりましたね)、測定のためのあらゆる手段であり(たとえば近寄れないなら赤外線温度計で測れないの?とかは素人意見ですが)、放射能が予想されるなら無人で偵察・撮影・測定できる機器であり、などなど無駄も覚悟で手配する。同時に、避難、リスクの説明、放射線の到達範囲の説明、ゆくゆくは農作物海産物への影響への対処…と予想されるタスクは多々ある。
何もこれを1人でこなす必要はない。大げさなことを言えば、現場レベルの立ち位置でなければ原子力発電所の専門家でなくてもある程度こなせるかもしれない、これが必要だ、どうなっている、と分かっている人に問いを投げかけ、把握し、既存の枠組みにとらわれずに必要な担当者、機材を呼びあつめ、配置する旗振り役こそが必要だった。同時に、状況と対策リスクを、根拠もふくめ平易なことばで伝えて、こっちは安全だと導いてくれる緑のおばさんが必要だった。対象は日本にとどまらない、原子力発電所は米国はじめ世界の関心事だから、海外に対しても情報を過不足なくリアルタイムで発信する必要があった。そんな余裕が無かったなら海外の専門家に一緒に入ってもらって共通見解をだしていけばよかった。
所詮門外漢の浅知恵かもしれないが、そう思えてならない。
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そう、必要なのはリーダーである。「全体の二割が走り始めると、残りの八割が一気に同じ方向に走り出す」バッファローの群れ的国民に、あっちに進めと方向を指し示せる革新の旗手である。
原発問題にしても、経産省防衛省文科省消防庁、警視庁と各省庁が対応していることからも分かるように、危機には縦割りや縄張りなんて気にしていられずALL JAPANで臨まなければ太刀打ちできない。医師免許がどうとかメンツがどうとか寝惚けたことをいってられなくて、実際必要な援助や英智はたとえ海外からでも自由に受け入れている。制度硬直と鎖国では乗り切れないのである。
ついでに言えば、地震津波が起こる前から、財政、経済その他、日本は危機的状況であった。
子ども手当とか高校無償化とか、今さら引っ込められない愚策はもうこの際どさくさにまぎれて一切合財やめて、ついでにどさくさにまぎれて行政法人とか天下り先の予算は全部削って復興費用に充て、復興が終わったらスリムな体になればいい。
それが、この期に及んで赤字国債だなんて、仮にも国民を代表した政治家の言うことか。国債暴落のトリガをひいてとどめをさす気か。日本国債がデフォルトしたら東日本にとどまらない、日本沈没である。
国単位で未来を思う機運が、疲労と苛立ちで消える前に、義損金がいつのまにか霧と消える前に、何とか革新への扉を開けないものか。
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「口ばっかりだしやがって、実際にてめぇが何したっていうんだ、文句があったら放射能あびながら働いてこい」という声にはこうべをたれる他ないが、感情論ではなく、少なくとも自分としては建設的と思っている発言なら、WWWの片隅でだろうと発することに意味があるんじゃないか、報道機関に任せるだけではなくて、と最近は思っている。
そしてお子様ランチの上の小さな日の丸レベルでいいから、きちんと自分で振れるように精進しようと、柄にもないことを考えてもいる。