終わりなき旅・ふたたび

どれほどの人がここを楽しみに読んでくれているのか分かりませんが、すみません更新遅くなりました。卒論を書いたり、書き終わって呆けていたり、体を壊したり、ようやく寒中見舞いを書いたりしていました。
というわけで、報告遅れましたが、無事卒業論文を提出しました。

  • 40929字(目次から謝辞まで。付録含まず)、107ページ。
  • 図:10コ、表:12コ、付録7コ
  • 実験・調査協力者:68名(うち、専門家13名。予備実験等含む)

お世話になった皆様、どうもありがとうございます。
大まかなテーマ決めから考えれば、11ヶ月以上にわたる長丁場でした。その間、就活と出版をはさみ、また実験室実験が生業の研究室において、質問紙調査あり、フィールドワークありの大風呂敷だったわりには我ながらよく頑張ったと思います。しかも普通なら予めある程度ストーリーをつくって仮説を立てるところを、研究内容の特徴上とりあえずやるだけやって後から説明を模索する…という手法をとったため、慢性的に作業が遅れていたのに、よくここまで書いたと思います。
それにしても、様々な場面で先の出版経験を思い出しました。なるほど、私は文書が長いらしい。で、たぶん2万字くらいを超えると、自分の範疇を超えちゃうのです。文章をコントロールしきれなくなる。今回に至っては、前日の夜まで内容をいじっていたため、ろくに校正できていません。なんとも心残り。
作業の真っ最中は、特に追い込みの最中は、体力的にはきついですが、ある意味楽なのです。余計なこと考えなくていいから。
終わったとたん、普通なら開放感にあふれるのかもしれないけど、なんともいえない、あえて言うならば荒涼とした感情におおわれる。もっとちゃんとできたのではないか。あるいは、どうしてこんなことを一生懸命やっていたのか。形にしたところで、当たり前だがすぐには反応がこない。いや、元来反応なんて求めていなかったはずだ。ただ自分が納得行くまでやろうと思っていただけだ。では、なぜ、何のために、そして…。
ヒマができると、お恥ずかしい話だが、死ぬことばかり考えている。死にたいわけではない。むしろ逆で、いつか死ぬのだ、あんなこともこんなことも全て忘れて、何も認識できなくなるときが来るのだ、と、何をすればいいか分からなくなる。
1年足らずのうちに、何万字も書いて、本と論文と、2つも形として残せた。それも、実に好き放題、時には他人の銭や税金を使ってできた。それはそれは幸せなことだ。満足はできないし、もっとスマートな方法があったに違いないが、正面突破でそれなりのものを造れたのではないか。少なくとも、他の人には無理だ。いい悪いではなく。どうだざまあみろ、へへんだ。…と自分に言い聞かせてみる。
もういいんじゃないかなぁ。疲れたよ。首尾よく就職することだし、今度はもう少し他人に基準を置いて、無理せず楽してやってみよう。量より質を目指そう。そんなことを思っている。