花火

今日も研究が進まなかったのだけれど、しょげていてもつまらないので、飯喰って楽しいことをしてから帰りたい、そう思っていたら、そういうことになった。思案した結果、不忍池に行って、弁当を食べて、花火をした。
「ぱぱは、遊ぶことになっただけですごく嬉しそうだね」と言われて、なるほど確かにそれは非日常で、とてもとても嬉しいことなのだけれど、特に花火はすきなのです。どれくらいすきかというと、花火を見ているときの心象風景は、Y先生のはしゃぎっぷりに負けないくらいだと言えば、分かる人には分かってもらえるだろう。
水を汲みに行くのも、ろうそくが無かったから、花火から花火へせっせと火をうつすのも、ライターを熱がるのも、煙にむせるのも、線香花火にしんみりするのも、毎度のことだけど、毎度ながらいいものじゃあないですか。
見通しがどうもたたないので、翻って少し昔のことを思い出してみた。不思議不思議、花火をしたことは、大まかな日取りも、場所も、仲間も、その他付随するエピソードも、どんどん思い出せるんだ。なぜか傘を焼いたこともあったし、聖火リレーもしたし、川の水を飲んでる人を見たこともあった。勿論、観にいった話は、雨で中止になったことも含めて、鮮明に覚えている。あらま、懐かしすぎる。
きらめいたかと思えば、潔く消えていく。そんな花火が彩っているから、今となってはどんなにせつないものでも、いい想い出として再会できるのかもしれない。いつでも、そしていつまでも鮮やかに。


今日の花火も例外ではなく、すべった発言を、進まない研究を、能力の限界を、ついでにやけに疲労した身体を、実に“綺麗に”忘れさせてくれたのでした。