you

“you”がよく分からない。卒倒するくらい乱暴に言えば、weが味方でtheyが敵なんだろうと思う。じゃあ、youっていうのはなんなのだ。OALDをひくと、要するに“the person or people being spoken or written to”だという。この英文の意味は分かるが、かといって日本語の「あなた」とは異なるように感じる。第一、単数と複数の両方をさす時点で、よく分からない。beyond meでござる。
それでいて「あなた」も、日本語の感覚からするとどうも違和感があるのである。語源を探るのは必ずしも賢明な方法ではないが、とりあえずたどってみよう。「あなた」は、元は「彼方」であり、「あの方」をさすようになり、近世以降は相手の敬称となり、敬意の度合いが減じて今に至る(広辞苑)。…といっても「あなた」なんて、英語の和訳以外、日常生活で使わなくないですか。「そっちはどうなのさ」と言ったりする。「あなた」は、日本語の体系における概念からもずれているし、もちろん、spoken or writtenされる対象=youでもない。
だから、「あなたを愛している」というセリフが可笑しいのは、「愛している」ということばのほうだけではなく、「あなた」という語のほうにも原因があるのではないかと思うのだ。
話をずらせば、やったら強調される「愛」も、明治時代に輸入されてから、てんでこなれていないような気がする。「余ツ程君をラブ(愛)して居るぞウ」*1の時のまま、依然として「歯の浮くような」言い回しであることに変わりはない。
すなわち。すなわち。
あなたもyouも、ついでにラブも愛も、よく分からない。そしてこの分からなさは、そのまま、自分以外の世界(とまとめてしまっていいだろう)をどうとらえ、どういう感情を持つか、もっと言えば、自分から自分以外をどう切り離し、どう折り合いをつけ、どう整理していくか、その不可思議さをあらわしているような気がしてならない。分かりやすく言うと陳腐になるが、他の人たちとどう生きていくか、結局はそこに行き着くということである。
私個人の話をすれば、人付き合いは悪い方だと思うし、いろんな意味で人間関係を切ったり斬られたりしているように思うが、それでも、ときどき、あぁ、なんと多くの文脈の中に居るのだろうと思うことがある。その繋がりの中で、自分も物事も意味を持つし、感動や幸せの大部分があるのだろう。何のかんの、仲間達と作品や空間を作り上げるのは、たとえどんなに些細なことでも、いつもひとつの奇蹟なのだと思う。
「to U」を聴いていたら、無粋にもこんな野暮なことを考えてしまった。まったく、失礼な話だ。

愛 愛 本当の意味はわからないけど
誰かを通して何かを通して
想いは繋がってくのでしょう
遠くにいるあなたに今言えるのはそれだけ

*1:坪内逍遥当世書生気質」。「余ツ程」は「よっぽど」と読むらしい。