長い雨と短い1日

講談で「今宵は濡れて参ろう」という文句があったように記憶しているのですが、詳しいことが思いだせません。帰りがけ、駅に着いたらぱらぱらと、傘をささないには強すぎる雨が降ってきて、面倒だったし、少し濡れたい気分だったので、そのまま帰ってくることにしました。酸性の雨をいくらか浴びたところで、自分らしさは、いや、自分くささは、ぬけませぬぬけませぬ。
ようやく少し時間ができたので、散髪に行って、がっつり切ってもらって頭が軽くなって、体も軽くなったような、ちったぁ風当たりが弱まったような、そんな気がするのは思い違いで、つつがなくつかれつつつかれつつ。「顔が疲れてるよ、死相がでているよ」と言われて、あらためて自分に聞いてみたら、なるほど、ずいぶんくたびれているようです。
やっぱり定期を買いました。ちょっとどうしようかと思ったが、毎日のように来るしかないっていうことになって、決意表明をかねて買うことにしました。そのわりにわ頭まわりませんわまわりませんわ。ソファーでごろにゃんとしていたり、ぐずぐずっとしていたり、ちょいとおまいさん、このままでは永遠に夏休みが来ませんョ、でも、だって、数字を見てもよくわからないんだもの。
昨日食べた煮魚定食が、たいそう美味しくありませんでした。あぁしないといけないほど魚がよくないのかもしれませんが、甘くて甘くて、それも安っぽい甘さの味付けで、おーい、勘弁してくれよぅ。
今日のお昼は、モスのナン・カリーにしました。おなかがすいていたので、きたとたんかじりついたら、口の中を火傷しました。
ん?つまらない?…そう、なんぼ考えても面白い文章を思いつかなかったので、思いっきりつまらない文章を書こうと思ったのです。…です。まったく、半端な文章だ。
まじめなはなしをひとつ。私は仕事をするたびに、それもマヂメに仕事をするたびに、パートナーを、ここではかなり広い意味でのパートナーを、失うのかもしれないなぁ…などと考えていた。私は、興味がなくて投げやりになるか、とことん熱中するかの2通りしか、物事との関わり方を知らない。熱中した場合、いつにもまして立ち居振る舞いには気を使わず、ましてや言葉遣いや思いやりなどけしとんで、無い知恵を絞って散々考え、こうと思ったらこうと、とことん主張する。それが正しいと、信じるのみである。客観的に正しいことが、その文脈においては必ずしも最適解ではないことに、気づけないのである。余裕が、ないのです。真の意味での協働作業なんて、一生できないのかもしれないなぁ。
好きな人と、好きな仕事を、好きなようにできる日なんて、永遠にこないのかもしれないと思うと、さすがにどうもせつなくなります。