旅にでた。

展望台

ここではないどこかに行きたい。ただそれだけの理由で旅にでた。急な話だったから、「学校おる?」という友人からのメールに、「旅先にいるよ」と返したら、ずいぶん驚かれた。
私は、本当に優秀な人たちに囲まれている。早口以外何のとりえもない私だが、それだけは誇れる。「あぁ、文才の無さを苦に身投げしたい」とわめいていると、あれやこれやと救いの手が差しのべられ、いつのまにか形になっている。この調子だと、週末はあきそうだと期待したのは3日ほど前だったろうか。高崎、宇都宮、東海道線で迷い、どうせなら乗ったことがない路線にしようと、内房外房線を思い立ったのが前日。宿を決めたのは当日金曜の朝。行き先は千葉県富津市にした。無論、鈍行でいける距離、海、魚、ただそれだけの理由である。
目の前の懸案から離れるのが大目的だったから、仕事道具は一切持たずにでた。関係のない文庫本を3冊持って、必要最低限のものだけを持って、ぶらり各駅停車にゆられる。うたた寝をし、本を読み、飽きずに海を眺め、そして、魚を食べる。本当にそれだけだった。最初の晩は、アジのたたき、タコのあえもの、穴子の寿司は結構おいしく、鳥貝があったことを喜び(すきなのだ)、鯖、帆立、あさりの味噌汁。翌日、地魚刺身定食を頼んだら、ほとんど名称が分からなかった。再びアジ、金目鯛、あとは多分スズキなどだったのだろう。鋸山のロープウェイ乗り場まで行って、上まで上がったら楽しそうだと思ったものの、やっぱり食べるのを優先させることにして乗らずにUターン、帰りの汽車までの時間、今度は回転寿司屋に入った。
現実逃避とは言えないと思う。今まで逃避したい場面はいくらもあったが、一応肝心の締切はすべて乗り越え、前日に一作業終わったから出発を決めた。当日もきたメールに返信してから家を出たし、出先でも、転送指定したメールが携帯に送られてきた。ぴーひょろろとトンビ?が鳴くのを聞きながら、「取り急ぎ携帯電話から失礼致します。さっそくのお返事ありがとうございます」なんていう文面をこねていた。ぴーひょろろ。
宿から、運動不足の老体には近くない距離をずんずん歩くと、岬の先端の大きい展望台につく。もうかなり暗くなってから登ってみた。気をぬくとよろけそうな浜風に吹かれ、波の音を聞きながら、意識は半分遠のき、しかし空っぽというわけではなく来し方行く末を思い、境界があいまいな海と空をぼーっと眺め、唐突に浮かぶ顔たちに、逢いたいとか謝りたいとかからかいたいとかいう感情がわき、つまりは「どこでもない場所」を浮遊していたとき、感じたのは、ああ、“生かされている”という実感だった。
別に満ち足りた生活をしているわけではないと思う。人並みに我が身のふがいなさを憂い、あいかわらず整理できない過去に(心の中で)涙を流し、未来に不安を感じ、といっても、過去はリアルで長いのに、思いつく未来といったら1週間先までの予定くらいなもんで、そのアンバランスに自嘲したり。だが、それもこれも含めて、なんとありがたいのだろうと思ったのだ。
ぶらっと旅にでてもきちんと話が進められたことも、ろくに時刻表を調べないものだから駅舎で1時間近く待ったのも、昼寝してしまって眠れなくなり「白河夜船」を読んでいたら結局寝不足になったのも、目を覚まそうと起き抜けにひとっ風呂あびたら身体がたまげたらしく具合が悪くなったのも、だから出発を遅らせて公園でごろ寝をしたのも、なんと幸せな、なるほど、それはとてもとても倖せなことにちがいない。