五月雨

五月雨に物思ひをればほととぎす夜深く鳴きていづちゆくらむ

古今集紀友則。いづちとは「どこに」のこと。五月雨の五月は陰暦の五月なので、要するに梅雨。だから今日みたいのは「五月雨」ではないのかしらん。でも、降るんだか降らないんだか、降っても霧雨のような天気が続く今日のような「五月雨」は、それはそれでいいかもしれない、と思うと、それはそれでいいかもしれない。ついでに、梅雨のように断続的に続くことを「五月雨式」というが、降るんだか降らないんだか、降っても霧雨のような天気が続く今日のような「五月雨式」は、それはそれでいいかもしれない、と思うと、それもそれでいいかもしれない。
そう、はっきりしないんさ。体調も大分戻ってきた。気分も、昨日一昨日よりは、大分回復。そりゃあ昨日今日ほとんど働かずに怠けていたからネ。それでも、今日ちょっとやる気出して頭を使えば、エンジンがかかるまでは長時間だが、一度回りだせばそれはそれでなかなか楽しいし、なかなかまともなことを言っている自覚はある。
――こないだ切ったと思ったのに、もう髪がボサボサだ。元々髪が伸びるは早いんだが、時が経つのも実感以上に早い。もうこんなに経ったのか。どうもおいてけぼりだい。
そうさ、それでいいならいいじゃないか。ねぇ。うん。うまくいかないことだってあるさ。先が見えないこともあるさ。想いがうまく届かないこともあるさ。今できることをやるだけだと、いつか自分で言ってたじゃないか。という訳で、ここ数日休息したし、リハビリはまぁこんなもんでいいんじゃないかな。誰のためでもない、自分のために生きるのだ。自律と依存のバランスがうまくとれるようになるといいナァ。
よーし、すこしは働くとするか。もちろん明日から。