ふたつきめのご挨拶

ふくすけ

気づけば、当ブログも開始から丸2ヶ月が経過したようです。これも、皆様からのコメントと、不気味に上昇を続けるカウンター数(9000前後!)のおかげでございます。ありがとうございます。
近頃は、だいぶ「自分のためにつける」という要素が強くなってきて、不親切な内容が多い気がします。そもそも、恐ろしいことに読者層が広がってしまい、中には年上の方もちらほらいらっしゃるみたいですし、もはや誰にむけて書けばいいか分かりません。ですので、誠心誠意生き恥をさらさせてもらいます。それはそれで、読む方にとっては面白いとも思います。
つけた日記は今日で58日目だそうで、我ながらマメな奴です。あんなに「ブログなんてやりたくない!」と言っていたくせに、今ではすっかり生活の一部です。時間喰ってしょうがない。何かしくじっても、「おっ、書くネタができた」と思えるし、何か悲しいことがあっても、感情のやり場になります。ただ、開かれた場であるという性質上、また受け手の前提知識や興味に差がある以上、書く内容には無言の制約があります。少なくとも、感じます。そして、その制約の枠内で、自分の感情なり日常をつむぐのが、逆に心地よかったりもする。「ここまでなら書けるだろう」「これなら、知らない人には何のことだかワカラナイだろう」「ここ、分かる人にはたまらないツボだろう」…エトセトラエトセトラエトセトラ。が、問題もありまして、こうなるとどうしても生ぬるくなるのです。生身の熱さや、徹底的に深く考えたり、正面から現実に向き合うようなことはしなくなるし、第一ここではできないのだ。どうしたものか。
しかし、この2ヶ月間は本当に激動だった。こんなになるとはお釈迦様でも知らぬ仏がお富さんだ。ありとあらゆる状況が変化した。体重は増えなかったが、ひたすら肌が荒れた。自分も、変わらざるを得ず、意識的に変わろうとしている部分もあり、それでも内面がまるでついてけてなくもあり。よーしうまくやった!という充実感と、頼むからもう一度やらせてくれという切実な後悔と、もう2度とあんなメには遭いたくないという気持ちが交錯します。人生は一発勝負。そこが興奮するところであり、恐ろしい。…興味があったら、さかのぼってあれこれ読んでみてください。もしくは、個人的に聞いてください。
できれば、「未来は自分の手で変える」とかいう力の入った物言いはせずに、「おきらく放談」してたいんですがね。(ちなみに、作った当初の名前は「三太夫の妄言」とかで、「さすがにやめろ」という助言があり、適当につけたネーミングが今の)。まとまりませんが、こんなところで。心に残った笑える記事や、復活を望む企画等がありましたら、どうぞお気軽にお寄せください。ご意見ご感想お待ちしております。