ゆとり、淡白、油断、怠けものの抽象論

いい天気ですね。
いつでも余裕やゆとりがあるというのは、私の最大の長所な気がしてきた。これ、まわりの老若男女、どんな人にも言われます。ここ数年会っていない祖母に、「もともとゆとりを持って楽しく精進していた」と書かれた手紙をもらいました。先日の審査員にも、「その気はあるんだけど、どうしてもっていうような気負いは無いんだよね」というような主旨のことを言われました。
が、こいつは淡白さややる気の無さの裏返しとも言える。正確に言うと、私がこだわるところは、たぶん他人に比べて、あ、あ、圧倒的に少なく、かつ、まるでズレているというのが大きい。だから、世間的には、「どーでもいいや、と言いつづけている不愉快なオヤジ」とうつるのであろう。
で、今現在はというと、けっこう余裕無いんですよ。いっぱいいっぱい。相変わらず身辺はバタバタしてまして、引越後いまだ家が片付かない。本棚はメドもたたず、「ダンボールの中から宝探し状態」が続いており、コンポもスピーカーにつないでないので聞けない有様。
が、これは単なるいつもの怠け癖な気もする。
ついでに言えば、余裕と油断は隣り合わせで、時には足元すくわれる。
わりと柔軟性はあって、何でもこーいというところはあるが、場合によってはとことんガンコで他の選択肢を考えられないあたり、淡白とこだわりのあらわれなのか。
どうにしろ、自分はいっぱいいっぱいのつもりでも、端から見ると余裕綽々だったりするらしく、あんまり余裕という長所(?!)を意識してだすこともない気がする。
で、ぶつぶつ並べて何が言いたいのかというと別になく、あえて言えば、ブログって不思議なツールだということくらいか。