2008年

sweeneytodd(http://wwws.warnerbros.co.jp/sweeneytodd/

骨が語る日本史

骨が語る日本史

日本映画、崩壊―邦画バブルはこうして終わる

日本映画、崩壊―邦画バブルはこうして終わる

話の内容には関係ないんだが、ほんの数ページの短いエピソード的な論が並んでいて、全体としての論理展開がつかみにくい類の本が(あるいはそもそも論理展開なんてないのか?)どうも最近多い気がしますねぇ。
教育改革の幻想 (ちくま新書)

教育改革の幻想 (ちくま新書)

空港にて (文春文庫)

空港にて (文春文庫)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

まぼろしハワイ

まぼろしハワイ

よしもとばななまぼろしハワイ」
よい出来だった。とてもよかった。
昨年末に書いた「えっせい」、あまり出来はよくないがそれなりに考えて書いたのに、私が言いたかったことが、(当たり前だが)もっと的確でお洒落に、この本には書いてある。長いが一部を引用する。

「ねぇ、コーちゃん、生きてるってなんだろうね、って考えたこと、ある?(中略)
私ね、わかったの。つまりさ……お風呂に行ったら、靴下の替えを忘れてきた、それで、それを取りに部屋に戻ったら、花瓶の花が枯れていて、それを捨てて、花瓶を洗って、そしたら靴下のこと忘れて、ひきかえして、また靴下を持ってお風呂に行って、それを置いてお風呂に入ったら、もうお風呂がぬるくなっていて、わかして、温まって、体を洗って明日もあさってもきっと洗って、お風呂を出て、靴下を履いたら、穴が開いていて、まあいいかと思うけどすうすうして寒くて、そしてあきらめてその靴下を捨てて、また別の靴下を取りに部屋へ行く、それが生きているってことなのよ。(中略)
死んだら出来ない唯一のこと、つまり順番を追ってきちんと経ないと進まないってことだけなのよ。現実は。(中略)
この果てしなく続く順番が、永遠かと思うくらい終わらないこの雑事が、人生なんだなって。そしたら発狂しそうになって、でも、その後ものすごく楽になった。死んだら出来なくなることはこれだけだ、恋したり、酔ったようになったり、いい景色見たりするのはその順番の中の素敵な隙間。でもそれでもやっぱりその後にもその最中にも人は絶え間なく目玉だとか心臓だとか頭を順番に動かしてる。死んだら、この順番になっている雑事が出来なくなっちゃうんだ、それは淋しいことなんだ、だから生きられるうちは生きていた方がきっといいんだ、って。」(中略)
「それは、そのとき考えりゃいいんじゃない? 今からそんなこと考えて憂鬱になったり悲観する必要はないんじゃない?」
僕は言った。
「あんた、いいこと言うわね。実は最終的に、私もその結論に達したのよ。」