旅ある記2007 会津若松(200706)

郡山に降り立ったのは3年振りである。
そのときは青春18切符を使っての貧乏鈍行旅行だったから、宇都宮・黒磯を乗り継いで、片道3,4時間の長旅であった。今回、新幹線を使ってみたら、うたた寝をする間もなく、小1時間で着いてしまった。見覚えのある駅前の街並みを見ながら、なるほど、文明とは便利なものだ、と思った。
新幹線はおろか列車も車も走っていなかった頃、現福島県の交通の要地は福島でも郡山でもなく、会津若松であったという。下野街道、越後街道などが通る会津若松は古くから栄え、福島県内で最初に市制を引いた。その歴史に配慮したのか、米軍も空襲を行わなかったため、市内には城下町を思わせる細い道・古くからの商店が散見される。
郡山市から磐越西線で西へ約60km、猪苗代湖脇。今回の旅先は、会津若松とその周辺である。
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ターバン野口英世のゆかりの地でもあり、野口英世青春通りとしてその名を留めているし、戊辰戦争の白虎隊で有名な鶴ヶ城も観光名所となっている。
そもそも鶴ヶ城をはじめ会津の基盤は、織田信長豊臣秀吉の家臣であった蒲生氏郷によって築かれたという。文武両道に優れた氏郷は、伊達正宗に続いてこの地を収めるようになった際、近江の国から沢山の商人・職人を連れてきており、それが今日の会津塗の礎となった。蔵作りの商家や、漆器の数々は、見ごたえのあるものだった。
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このあたりは米どころであり、水がきれいだからなのだろう、地酒や蕎麦が盛んである。一方で山国であるため、当然魚は獲れない。
会津若松から電車で15分の喜多方では、街中にラーメン屋があふれ、喜多方ラーメンを食べに来た観光客でにぎわう。
あいにく酒は飲めず、蕎麦はアレルギー、無類の海産物好きでラーメンはあまり好きでないという私には、とんだハンデ戦となったが、これがまた意外と美味かったのであります。
うちの親父なんかは、臭いからと川魚を敬遠しているが、岩魚のみそ焼きはなかなかのものだった。地鶏、豆腐なんかもいける。海産物となると、圧倒的にニシンが多い。保存食として加工されて運ばれてきていた歴史があるのだろうが、棒たら煮にしたり、昆布巻きにしたり、天ぷらにしたり、山椒漬けにしたり、さまざまな工夫で楽しめた。
代表的な郷土料理は「こづゆ」。干し貝柱でダシをとり、里芋・ニンジン・干しシイタケ・キクラゲ・糸コン・豆麩(まめふ)等を、塩やしょう油でうすく味付けした具だくさんの汁物である。お正月や結婚式など祝い事やお祭りには今でも欠かせない料理だという。平たいお椀に盛られ、色合いも華やかで、絶品であった。
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車を借りなかったので、移動手段はもっぱらバスであった。
会津若松駅の南、湯野上温泉から車で10分のところにある大内宿は、江戸時代の宿場の面影を今もそのままに残している。今でこそ重要伝統的建造物群保存地区に選定され、沢山の観光客が訪れているが、約40軒の茅葺き民家の風景がよく残っていたものだと思う。ほとんど奇蹟だろう。
以前白川郷の特集を見たことがあるが、茅葺き屋根を維持するのは並大抵のことではない。当然茅が無くてはならないし、数十年に一度葺き替えを行わなければならない。集落の人々が協力して、各家を順番に葺き替えていくのである。また、萱葺きは屋根囲炉裏とセットのものであって、煙でいぶされることによって長持ちする。つまり、生活習慣や共同体に密接に結びついているので、ひとたび変化が起きれば、たちまち立ち行かなくなる類のものなのだ。
大内宿が残ったのは、古い街道が寂れ、忘れられた宿場町となったことと同時に、家々がもともと、宿場を運営しながら農業を営んでいたため、町そのものは廃れずにすんだからだという。なるほど、現在も土産物屋を営む傍ら、家と家の間に畑があったり、家の前の水路で野菜を洗ったりラムネを冷やしたり、作り物ではない、そこに住んでいる人の息吹を感じる。
昔のものを残すだとか、伝統を現代にだとか、言うのはたやすい。だが、ひとたび「保存する」となれば、さながら使われずにショウケースの中に飾られている茶碗みたいなもので、そこに本来の輝きはない。かと言って、現在にあわせて変えていったら、跡形がなくなってしまうだろう。大内宿では、たしかに人が住んできたということに、力強さを感じる。
外野の虫のいい願いだが、ぜひこれからもそうあってほしい、と思う。
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日本書紀によると、崇神天皇四道将軍(山陽、山陰、北陸、東海の各道)を諸国に遣わしたという。そのうち、陸路北陸道を北上した父大毘古命と、東海道から茨城県毛野川、栃木県鬼怒川、そして福島県会津大川沿いを下ってきた息子武渟河別命(たけぬなかわわけ)が、対面した場所が会津若松であった。この劇的な再会以降、この地は相津(会津)と呼ばれる様になったというのである。
なるほど、数々の美味しいものと歴史に出会った旅であった。

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<行程記録>9:30頃郡山、11時過ぎ喜多方。蔵品美術館、田舎家、うるし美術博物館、若喜商店。会津若松鶴ヶ城野口英世青春通り、會津壹番館、青春館、AIDU ROYAL BOAL、なつかし館、渋川問屋(いんげん、にしん山椒漬、棒たら煮、こづゆ、にしん昆布巻、にしんなすうど天ぷら、グリンピースご飯、会津牛、鮭押し寿司3150円)、ふじみ旅館、大内宿こぶしライン号、塔のへつり、大内宿(笹餅、しんごろう、「分家玉や」鳥せいろう、岩魚)、飯盛山、白虎隊記念館、さざえ堂、武家屋敷、七日町とうふ茶屋清水庵、20時頃郡山