手紙

口を開くからには面白いことを言いたいし、書くからには読んでよかったと思われる文章にしたい、気概だけは、少なくともある。実際は、壮大なるマンネリ発言だったり外したり、文章にしたって、どうってことはないし第一時間がかかりすぎる。ほとんど事務的内容に終始するメールだってやたら時間を喰うし、今日は、B5の便箋を一枚うめるのに2,3時間かかった。
携帯をもつのが遅かったこともあって、長らく手紙文化の中にいたし、電波を飛ばすアビリティを得た後も、ことあるごとに小汚い字でハガキを書いたりしていた。本質的には好きなんだろう。
しばしば思う。
どうして、借りてきた言葉をつなげて喜んでいるのか。
これっぽっちも中身のない内容でしたり顔をして居るのか。
話がつながっていないことに気づかないのか。
何ゆえ、どうしようもない幼児性をまきちらせるのか。
そしてそれを、なぜ是とする人間がいるのか。
分からない、判らない、ワカラナイ…
という思考モードに入ったときは要注意だ、ということくらいはわかってきた。そもそもどうして善し悪しがうまれるのか分からないし、何が良くて悪いのかもよく分からない、ましてや自分の感覚が正しいのかどうか分かったもんではない。よしんば悪くない判断だったとしても、だからどうなのだ。四の五の言わずにまず自分がやってみろ、である。
もう、いいかげん、大きく見よう、大きくありたい、と想う。