どこへゆく

必要があって、原稿用紙5枚くらいの文章を、ひたすら品詞分解して単語に分け、分類した。品詞分解とは、「食堂へ行ってラーメンを食べましょう」を「食堂/へ/行っ/て/ラーメン/を/食べ/ましょ/う」と分けるあれである。(分解合ってるかナァ?文法は嫌いだし苦手なのだ。)
あまり調べずにモノを述べるのは気がひけるが、言ってしまっていいと思う。現行の国文法は、どーしようもない。分解していて気が狂いそうになった。ムダだ。まるっきり意味がないとはいわないが、学校で厳しく教えるべきものでは断じてない。
「分解のための分解」に終始し、分ける意図が見えない。「行って」を「行っ/て」にして、「ましょう」を「ましょ/う」に分けて、何が分かる。大体「行っ」とか「う」とか、発音上無理があるではないか。分解するたびに、文章からは血が流れ、イキイキとしたことばたちがたちまち生気を失う。
現行の国文法は、明治時代橋本進吉の立場によって体系化されたもので、ある意味「分かりやすい」ため未だ採用されているそうだが、現在の国語学の水準からすると、著しく出来が悪いと聞く。いいから早く何とかしてくれ〜。

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むかし話ばかりするようになったらオジサンだろう。我ながら困ったもんだ。でも、毎度毎度新しく生み出し続けるのは、そりゃムリですよ。さあ、どこへいく。