わたしのきもち

友人の言うところ、余裕があって推敲されたときの記事は面白い、反省文はやめてくれ、とのことだったので、そうなればいいね。
何の話だったか、「それは要するに人の気持ちが分からないっということではないか」と言われ、あまりになるほどと思ってグサグサグサときた。そうだね、分かりません。
「人間は○○で…」という文言の多くは、単なる自分基準だろうが、私の場合、自分基準の判断は往々にして失敗することを知っている。
ついでに言うと、自分の性格なんてェものは、「自分がこうなりたい」もしくは「こういう自分でいい」の集積のような気がする。一度「人と変わっているのをよし」としたが最後、私はここまできてしまったのである。
話を戻す。ひとつひとつは自分の決断の結果で、どうしてもイヤだといっているうちに今のようになったのだから、その状況を受けいれているが、決定的に欠けたのは社会性だろう。人の気持ちも自分の気持ちも、分からない。ま、全部分かりたいとは思わないが、もう少し分からないと申し訳なくってならない。
わたしのきもち」という番組がある。

この番組は、子どもたちに人間関係をうまく結ぶためのヒントを提示します。あいさつをする・人の話を聞く・仲間に入る・・・それぞれに「適切なやり方」があります。番組では、その「やり方」を、ユニークな寸劇やアニメーションなどでわかりやすく表現します。自分のきもちを適切に表現し、相手に的確に伝える、相手のきもちを聞く、そしてお互いのきもちをわかり合う・・・人間関係を作り上げていく過程をシンプルにしていけば、「やり方」が見えてきます。楽しみながらコミュニケーション力が高まることをねらいとする番組です。

まだ見たことはないのだが、自分が視聴者ターゲットの気がしてならない。
余裕が無く、ろくに推敲されないつまらない文になった。これから2時間半、自分の悪声を聞き続けて資料を作るかと思うと、そりゃ、余裕もやる気もでない。
ごめん。