チャーハン、コーヒー、たまちゃん

三題噺の題、気に入ったのです。特に意味はないけど。
昼、久しぶりに作る気になったので、例によってチャーハンを作った。今日は結構うまくいった。えへん。いかんせんヘタクソだから、中華鍋から飛び出した具材がコンロに飛び散っていたけどね。
家にいても暗くなるし誘惑も色々とあるので、大学で作業を…と思ったけど、何ともない会話に華を咲かせたり、一人で漫才をやったり、コーヒー飲みにいったり、ついついええカッコしいで人の手伝いをしたり、おちょくったりおちょくったり、大して進まなかった。どうも、こう、一度切れた緊張の糸はなかなか回復しない。
たまたま家人が出払っていたので、一人で飯を喰らいつつたまちゃんを眺めながら、なぜかやたらと昔のことを思い出していた。詳細は省くが、要は切り捨てすぎたな、と。あれもこれもで首が回らなくなる図を回避すべく過ごしていたら、なーんもなくなってしまった。まるで自己免疫疾患の如く、自分で自分を傷つけた。妥協は私の真骨頂だったはずなのに。
最もキライな類の発言をしよう。「がんばったのに…」。ここ数ヶ月、けっこうがんばった。だが、どうやら珍しくムキになって意固地になりすぎたようだ。ドンキホーテにでもなったつもりか、未知の世界へ一人で突っ込んだ。「意識して」という言葉は嘘になるが、「意識していない」という言葉も嘘になる。基本単独で、それもまったく違うアプローチで、しかもまったく違う次元の結果を出そうという、口惜しい哉、暴挙だったのかもしれぬ。単なる自意識過剰かもしれぬ。「現実は事実」なのだから、中略、でも、何が現実で何が事実かという捉え方は無数にある。無数にあるはずなのだけど、どうしたって他の解は見つけられない、もしくは見つけたくない。多分何のことだか、ほとんどの人は分からないと思うのだが自分の中ではつながっていて、とりあえずの実際的な結論はというと、もうちょい気楽にいこ、で、精神的にもう少し人に頼って寄りかかろ。そんなことを思ったのでした。