むかし話ばかりになったらオシマイだ1

近頃やたらめったら暗い話が多いんで、何かぱぁっと明るい話を考えていたら、どうしても昔の話になってしまう。ここは新しい知人が見ていることが多いので、自己紹介がてら、老人のむかし話にお付き合いください。
しょっぱなは季節柄「バレンタインディ」でもひとつ(笑)。先に言っとくけど、面白くないよ、この話。大体わたしは本当に浮いた話が無くてずっと沈んでて、高校も、世に言う男子高というところにいて、まわりには「バレンタインデーっていつだっけ?15日?」と真顔で言ってる輩がいたくらいだから…。
ちなみに自他共に認める甘党ですので、年中甘いものを食べています。年末のハードスケジュールは、コンペイトウでのりきりました。太るのでよい子はまねしないように。
さて、覚えてますが、はじめて体験したのは、小学3年生だか4年生のことだったと思います。(そいや昨今は幼稚園生も大騒ぎしているそうですね)。家でたしかウルトラセブンを創った人たちのドラマかなんかを観てたら、呼び鈴が鳴って、玄関に出ると、同級生の子が。どうせ私のことだから、「どうも」とかいう愛想のない返事をしたんだろうな。どんなチョコだったかは覚えてませんが、「本命チョコです」とかいう手紙が入っていた気がします。ちなみにその頃の私は、義理チョコとか本命チョコとかいうネーミングさえ知りませんでした。私は本当に日本に住んでたんでしょうか。で、その後のことは記憶に無いんで、たぶんなにもなかったんでしょう。
話は中学に飛びます。私が居た中学は、結構男女の仲がよかったようです。「ようです」というのは、私は本当にその辺の事情に疎くて、卒業してから、「えっ?! あいつらできてたの?」と何度驚いたことか。よく言われましたさ、「知らなかったの? じゃぁ、○○と○○くらいは知ってるでしょ?え?知らない?アンタ、ホントに何も知らないのね!」…私は本当に中学行ってたんでしょうか。
で、その頃私は何を言っていたかというと、「バレンタインは事件に巻き込まれる」。何を念頭においていたのか、記憶があいまいですが、たとえば中1の時は、「明日2クラス合同でレクしよう。条件は負けたほうに罰ゲームがあること。主催者はお前。考えとけ」というとんでもないお達しが来ました。今では、手を抜く手練手管を熟知してますが、まだ結構純粋だった三太夫少年の狂乱ぶりったら無くて、あちこちに八つ当たりしたり、電話かけたり(勿論家電の時代)、大変でした。結局サッカーをやりました。中3の時は、受験の真っ最中から直後くらいで、受験先からとんぼ返りして、謝恩会の手配をしていました。訳がわかりません。
冷静に分析してみると、「何となくお祭りに参加したい」という人にとっては、一応義理堅い私はちょうどよい存在だったらしく、3年間のあいだ、幾人かの酔狂な方から頂きました。中には大福という変り種も。笑えるのは、後年当時の手紙を整理していたら、一様にみんな「食べ過ぎて胃を壊さないように」「胃薬用意して」と、私の胃を心配してくれていました(心配されるほどもらってないよ 笑)。私は本当に中学生だったんでしょうか。
あぁ、疲れた。この企画、一回ぽっきりかもしれないな…。
高校以降は、大して面白い話もないし、関係者がまだまわりをチョロチョロしているので、とりあえずよしときます。まぁ、唯一面白そうな話としては、14日に、私が女の子にあげたことくらいか。その日、近くのコンビニに買い物に行こうとしていると、なにか悩み事があったのか、知り合いの子が泣きながらその友達に相談事をしているのが見えました。ついでなんで多めにお菓子買って、帰りにまだ泣いてたので、コアラのマーチをあげました。大層喜んでくれ、予想以上に感謝されました。たかが100円くらいのもんなのに。ちなみに、まさか期待はしていませんでしたが、当然ながらひと月後にお返しが来るはずもなく、また、彼女からメールの返事が来たこともありません。