生きている証を時代に打ち付けろ

寒かったですね。師走も半ばに入るようです。ということは、今年も残り少ないそうです。


やたらと街がうかれている季節。
足どりがうわついてくる季節。


忘年会にもイルミネーションにも無縁だったけど、ずっとこんな季節が好きだったことを思い出す。色づいた葉が舞う下で、待ちゆく人が一枚、また一枚と服を重ねるうつろいを眺めるのが心地よい。そして、寝ぼけた頭で、あれは今年のことだったかな、と、ふりかえる。


夏の暑いときに「あぁ涼しい」と思うより、冬の寒い日に「あぁあったかい」と思う瞬間の方がいいじゃないか。それが、マフラー1枚のあたたかさでも、うちに帰ったときの暖かさでも、人のぬくもりでも、ふとしたやさしさでも、たまらず道端で買った缶コーヒーであっても、、


「お前さん、なんであんな亭主と一緒になってんだい、見込みがあんのかい」「あるもんかあんな奴」「じゃあ、なぜ一緒にいるんだヨォ」「だって寒いんだもん」  …汗ばむくらいの電車内や、熱気と殺気の入りまじるセミナー会場や、電化製品にかこまれた生活をしていると忘れがちな事実だが、冬は、さむい。


あたたかさって、どこにあるんだろう。僕にもあるのかい?そっと自分に問いかける。
「あるさ。お前もっと自信持っていいよ。っていうか、自分を信じて進まなきゃ、何もできないじゃないか」。すかさず冷めた声が聞こえる。「バカヤロ、お前に何ができる。卑屈なんじゃない、それが事実だ」


ことわっておくが、停滞しているわけじゃないんだ。ただ、このグズグズしている時間を、大事にしたいだけなんだ。突っ走りはじめたとき、何かを見落としそうな自分が嫌なんだ。


「いいかげん腰を落ちつけろ」


しつこいようだが、何も考えてないわけじゃないんだ。ただ、何か決断することが、他の数多の選択肢を否定する意味を、かみしめておきたいだけなんだ。決断したところで、先に何があるかなんか分からない、から、ただその場その場を必死に生きるしかなくて、意味は後からついてくる、そんな現実に、ギリギリまで抵抗してみたいだけなんだ。


目標にむかってつきすすむのと同じくらい、今は知らない、未知のものに期待している。思いつきや、ひらめきや、縁が化学変化を起こす瞬間に味をしめてしまって、どうにもならない。普通の価値観に埋没したくないと駄々をこねているわけではないのだ、言い分けをさがしつづけてるわけでは、ないのだ、たぶん。

新しい記号を探しに  フラスコの中 飛び込んで
どんな化学変化を起こすか  軽くゆすってみよう


熱を作り出すには、運動や、あたらしい成分が必要だ。止まってしまう前に、それくらいは、さがしにいこう。
もしかしたらずっと何も起こんないかも、でも…
ここぞとばかりに、たまには時代にくさびをうちつけられたら、と思う。

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今日も一応誰かさんのパスティーシュ(文体模写)なんだが…。「似てないよ。私はもっと文はうまいしこんな言葉も会話も使わないし女々しくもない」と怒られるのかネ。まぁ、いいや、そのとおりです。分かってはいたが、やはり所詮他の人の文なんか書けっこないもの。ちょっと真似したくらいで、そう簡単に化学変化は起こらない。その人の人生は、その人が背負っていく義務があり、また、それは何物にも変えがたい特権なのだ。