萌える男

萌える男 (ちくま新書)

萌える男 (ちくま新書)

果たして自分から「面白そうだね、貸して」と言ったかどうか記憶にないのだが、友人が貸してくれたので、読んだ。電車の中で読むのが恥ずかしかったが、ま、今さら恥も失うものも無いワイ。ちなみに私は、確かに趣味も感覚もずれててある意味別の世界を生きているし、服も一歩間違えればいわゆる「アキバ系」にいきかけるが、いわゆるオタクではない、と思う。だから、「メイド喫茶は、2次元と3次元の中間的な存在、2.5次元である」と言われても、「デビッド・マーか!」と2人くらいしか分からないネタを言うことになる。というか、単純に分からなかった。彼らを受け入れないと言うことではなく、単純に何が書いてあるのかヨクワカラナイ。要は基礎知識が無いので、取り上げられているマンガもゲームも知らないので。とりあえず、読み取れた範囲の要旨は、
恋愛資本主義恋愛至上主義)というのがある、と。ある種の頂点はバブル期。すなわち「東京ラブストーリー」であり、「彼女が水着に着替えたら」「私をスキーにつれてって」であり、「ホットドッグプレス」であり(ちなみに、廃刊になったのを最近知った)。で、バブルの崩壊と共に、なくなるかと思いきや、財力その他に関係なく誰でも参加できるようになり、ますます恋愛資本主義はすすんだ。となると、当然その路線にのれないorのらない人々が出てくる。絶望はせず、この世界とは異なる世界にあくまでも希望と癒しを求め続ける、それが「萌え」という精神運動なのだ、…そうな。
あとはとりあえず単発で、印象に残った言い回しを列挙してみる。…恋愛とはその出発点からして本質的に脳内恋愛=「萌え」であった/ゲーテやダンテは「萌え」の先駆者/たとえば「メイド服」に萌えるとしても、彼はそのメイド服そのものに萌えているわけではない。メイド服という記号の向こうに、何がしかの理想=意味を見出して萌えているわけなのだ/つまり萌えは、宗教(神)が死に、神に変わる「恋愛」も死んだ現代の日本において、必然的に生まれてきた新たな信仰活動といえる/生涯「萌え」を貫いた人間がいる。それは宮沢賢治だ(注 賢治は春画が趣味で、夭折した妹を溺愛していた)/具体的には、たとえば「眼鏡萌え」というジャンルがある/たとえば、自分のことを僕と呼ぶ「僕っ子」も人気がある/「萌えとは、崩壊した恋愛に変わる新しいシステムを作り出そうとする、多数の人間による脳内シミュレーション実験である」/これは一種の精神的な革命運動なのである/萌える男とは「モテたくない男」なのである