思秋期

季節柄、よく自分のことを考えます。
僕が通っていた中学では、人の発表に対して、よく感想を言わなければならない機会がありました。ある時、僕らがグループで発表しました。感想の担当者は、誰々のドコがよかったと、メンバーそれぞれに対して具体的に言及していきました。最後に、僕について。僕がよかったのは、なんと「僕らしさ」だそうで。思わぬ言葉に、クラス中が爆笑でした。
これもむかしむかし、何とマァ奇特な方がいたもんで、僕のことを「存在そのものに価値がある」と言ってくれた人がいます。
なるほど、結局その人の価値って、その人そのものでしかないんですね。説明になっていないけど、そういうことなんでしょう。
別に僕は、これを言って、自慢しようと思っているわけではありません。逆に、決定的に後悔しているのです。
「自分の価値=自分」という態度は、時に不遜、驕り、怠慢、甘えをうみます。僕は、この罠に、見事にはまってしまっていたのです。たしかに、自分なりには、自分を磨くことで自分を高めようとしてきました。適切に見、自分の言葉で表現しようとしてきました。その態度自体には、自負があります。でも所詮、自分(と、ごく近くの人)のフィールドでの話。喩えてみれば、たたきまくった石橋を渡って、「やっぱり渡れた」と満足してきただけでした。こんなことに、長らく気づかなかったなんて、しかも一部の人は指摘してくれたにもかかわらず無視し続けてきたなんて、へそで茶が沸きますわ。

心揺れる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく


無邪気な春の語らいや
はなやぐ夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日   (思秋期 岩崎宏美


もう手遅れかもしれません。遅すぎるかもしれません。
ようやく実感をもって気づきました。「問いを解くよりも、問いを作った人のほうがずっと偉い」(永井均)し、道は通るよりも作るもんなんですね。
ようやく、ようやくスタートラインです。
これが、いま現在の自分です。あとは、自分をぶつけて、誠実に生きていくこと。それが果たして受け入れてもらえるのか、評価されるのかは分かりません。とりあえず、誠実さ(=ありのままで正面突破)には、自信があります。