たとえば、日曜の夜に「仕事に行きたくない」とぼやき、「あぁ忙しい」となげき、遊んで暮らしたい、寝たおしたい、何もしたくない、と思うのもごくごく自然な感情で、同時に、働かなくちゃとか、こうあるべきだとか、そういった外圧に依存したりちょっぴり希望するのも、また自然なことのように思える。
実験の解析が上手くいかないだとか、友達がいないとかモテないだとか、気候が悪いと気分が悪いだとか、散々ぼやきながら、日々の課題をはねのけるほどの度胸もなく、無論やる気もなく、「パソコンの調子が悪くて仕事する気がおきねえや」などと言い訳ばかりを探して、喉もとすぎてすぐ忘れるような生活をして、同じようなことを繰り返し、そのままむごたらしく死んでいくのだろう。一般論に広げるのは気がひけるけど、少なくとも自分はそうだろう。
要は、好きにすればいい。反省はしても後悔しないようにすればいい。決断とは、もっと言えば生きるとは、後悔しない覚悟を決める作業だろう。諦めるとか忘れるだとか、そう言い換えてもいいし、わかっててあえてそういわない我慢だとも言える。少なくとも、結果云々ではない。
…という抽象論がまるで無力なこともまた、知っている。
はしりがき。