テレビと映画

これはまったくもって個人的な感覚の話であり、しかもうまく言語化できないので、例を並べることによってしか説明できず、しかもその例も甚だ自信がないので何ともいえないのだが、…と前置きしておいて言うのは、テレビドラマと映画って、違うと思うのですよ。映画には、映画の文法というべきものがある気がする。これは、某映画を観たときに思ったことで、「あんなの映画じゃねぇ」といい、「どこがどう違うのだ」と同行者とケンカになり、うまく説明できなかったのだが、それでも、映画の文法ってあると思うのよね。それは単に予算という差だけではなく。どちらがいいとか悪いとかではなく。
淀川長治さんは、まさにその文法の番人であったといえる。おすぎがどうかは何ともいえない。
たとえば、黒澤明にしろコッポラにしろ、この人たちは明確に映画の文法。小津安二郎も映画だが、木下恵介の映画には、ときにテレビの雰囲気も感じる。市川崑は器用な人だから、映画らしい映画を作り、映画っぽいテレビを作ってた。東京オリンピック木枯らし紋次郎を挙げればよくわかる。鬼平犯科帳には映画を感じる。でも水戸黄門暴れん坊将軍はテレビだなぁ。下妻物語は、テレビといえるかわからんが、映画ではない。竹中直人の映画は映画。周防正行も映画。原田眞人は、どこかテレビっぽい。この前亡くなった久世さんはあまり見てないからよく分からない。大林宣彦は、どう考えても映画なのに、どこかテレビっぽさがある気がする。白い巨塔も、女王の教室も、わりと格調高いけどテレビ。古畑もテレビ。ローレライも、私には魅力がひとつも理解できない踊る大捜査線(観たのは映画版の1作目)も、映画と感じる。と書いたけど、踊るはやっぱ微妙。テレビかも。県庁の星は明確にテレビ。北野武は、どこまでも映画。
いかが?もとより議論になりようがない切り口なのだが、もしなにか思うところがあったらぜひ聞いてみたいです。