困ったときは歳のせい

歳をとると、すぐに疲れます。今日は、おもわず「どうしたの?」と聞かれるほどの負のオーラをふりまいていたようです。だって、金曜日ですよ、単純に疲れてるに決まってるじゃないですか。
歳をとると、忘れっぽくなります。数日前に自分で言ったことなど、すっからかんと忘却し、似たような失敗をパワーアップして繰り返します。本人は毎日が新鮮でいいですが、まわりの人はたまったもんじゃありません。もちろん、「顔は浮かぶけど名前が出てこない」瞬間はしょっちゅうです。というか、今(22時過ぎ)思い出しましたが、オレ今週やろうと思っていた用事と、今日の予定、2つともすっかり忘れてたわ。手遅れじゃないか。何のんきにブログなんて書いてるんだ、訳が分からん。「あれ、わしはどうして泣いているんじゃろ」(某落語のネタ。分かるかな?)。
歳をとると、ひがみっぽくなります。「いったいどうして、自分は、言行動はおろか、存在自体を否定されるような仕打ちを受け続けなければならないのだろう」と、本格的に悩んでは心で慟哭します。もっとも、「居場所が無い」と嘆く窓際族の多くは、被害妄想か努力不足です。そして大抵の場合帰結する結論は、「俺は何も悪くない!」という自己暗示です。
歳をとると、競争社会でおいてかれます。インターン先は、「価値創造に徹底的にこだわる」が社風の1つでした。それが頭にあって、私だって、何か価値ある発言なり考えを生み出して、自分の存在意義を探ろうとしているの、で、す。で、とことん空回りで逆効果な訳です。何もしないほうがよっぽどいい。ふんっ。どうせ元々「価値」なんて言葉は大嫌いだから、べつにいいさ。そもそも生きてるに値する人間なんて、殆どいないんだ。あたしが居なくなれば、喜ぶ人間の顔が山ほど浮かぶわい。葬式出したら、どうぞお祝いに駆けつけてください(某漫才のネタ。分かるかな?)
歳をとると、失うものはなくなります。守るべきものなんかみんなどこかにいってしまったし、恥も外聞もあったもんじゃない。笑いたきゃ笑え、惨めに思うなら思え、哀れみたきゃ哀れめ、嫌うなら嫌えと開き直ります。さーて、いったい誰が見てるんだぁ、これ…。
歳をとると、いやなことばかりです。が、たまたま今日は得るものがあったのョ♪ ヤケおこしたのをいいことに本を2冊買ったのですが(ヤケおこしても2冊ね。貧乏だぁ)、店員がレジを打ち損ねて、1冊分の代金ですんだ。申告してもよかったのだが、ま、お金も運もないし、たまにはいいことあってもいいかと思って、黙って退散。うふ。
歳をとると、何でも歳のせいにします。いや、というよりも、歳のせいにでもしないことにはしんどくてやってられないのです。「元気でがんばれ中年の星☆」とは、数年前に友人がよこした年賀状の文面。せめて「“明るく”ネガティブ」ぐらいは心がけようかと思っています。