おとうと

http://www.ototo-movie.jp/
最後まで違和感のぬぐえない作品であった。
インタビューを読んだところ出演者自身も指摘しているような、独特のセリフ回しが、何とも古臭く、ファンタジーというよりウソっぽい。山田作品のわりにぞんざいに思える人物描写(蒼井優の最初の旦那)、死にそうに見えない鶴瓶など、思うところはあるが、何より、出てくる人がみんな優等生で面白味がないのである。ハチャメチャにみえる鶴瓶も、「ダメ人間として優等生」の枠を残念ながらでていない。筆頭は吉永小百合で、何というかキレイすぎて、いい人すぎて、大げさに言えば気持ちが悪い。前作「母べえ」でも感じたが、山田作品にはハマりすぎてしまって、却ってお互いの持ち味を消しあっている気がしてならない。
本作は市川崑監督の「おとうと」へのオマージュだそうだが、むしろ過去の山田洋次を彷彿とさせるシーンが多かった。しっかりものとはみだし者の姉弟はそのまま寅さんとさくらを連想させるし、結婚式のぶちこわしにはじまり、実際の映画のカットまで挿入されている。痴呆のはじまった加藤治子のセリフが現実をあぶりだすシーンは、「たそがれ清兵衛」のそれを感じた。民間のホスピス「みどりの家」の登場は、「学校」等に見えるいわゆる「社会派」監督の視点が垣間見えた。口の悪い言い方をすれば「あっためかえし」であった。
かつて、物心ついたときに「学校」を観て、地味にみえて映画にはこんな力があるのかと感化された。当然のごとく「男はつらいよ」を観ることとなり、マンネリといわれながらも、そこには一貫とした「哲学」のようなものを感じた。ただ、「はみだし者でも家族なら仲良くしよう」レベルではない、時に亜流が主流を駆逐するような、ある面での真実を感じた、と言ったら言い過ぎか。そして、「たそがれ清兵衛」。あの山田洋次が、これほど厳しく、鬼気迫る映画を撮ったのかと、衝撃だった。
「最後の巨匠」も78歳だという。次なる新境地を期待してしまうのは、ファンの性(さが)だろうか。