201001

マイケルジャクソン。映画館にてようやく。人間もここまでできるんですね。昔の曲なのに古くないなぁ。
女は女である [DVD]

女は女である [DVD]

珍しくゴダールなど。アンナ・カリーナの服装、まわりまわってちょっと今風。
「ほめる」技術

「ほめる」技術

ほめる技術。「ほめる」というとなかなか及び腰だが、acknowledgementという考え方はなるほどと思う。が、どこかで「そこまでしないと/されないとなのか」という違和感はまだぬぐえない。
夢を与える

夢を与える

普通の少女が国民的アイドルにまつりあげられてから堕ちていくまで。
若くして芥川賞をとり、騒がれ、人々の好奇の目にさらされた作者自身を多かれ少なかれ投影しているのだろう。同世代。
野村の革命

野村の革命

その街の今は (新潮文庫)

その街の今は (新潮文庫)

〈ビジネスの未来2〉 グローバル製造業の未来

〈ビジネスの未来2〉 グローバル製造業の未来

「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち

「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち

家電・自転車等々ものを買わなくなったと言われる20代後半層について、世代論から論じている。
が、そもそも「分類」はあくまでも目的があって、ある観点から論じるものであって、まず「世代」を特定して、あまつさえ研究者まで紹介して世代論のなんたるかを論じ始めるのは、「嫌消費世代を題材に世代論について考察する」のではなく「世代論を用いて嫌消費世代を考察する」趣旨からして本末転倒ではないのか。エリクソンをもちだして、この世代は幼児期に○○という出来事があったから○○の特徴があるという論理展開にも違和感がある。
あちこちに調査結果や統計的な分析がなされているが、「現在の20代後半」の特徴をとらえるには、「現在もっと歳を重ねた世代の20代後半当時」と比べるべきで、「現在の他の世代」と比べたらそもそも別の外的要素(剰余変数)が多くてたいへんだ。資料的な制約があるにしても、その点をさしひかねば論じようがあるまい。
で、20代後半の特徴を「劣等感」「上昇志向」「他者志向」「競争志向」だといっているのだが、誰だって歳をとれば自然と他人の目も気にならず限界を知って諦めもついてくるであろうわけで、ただそれだけではないのか。
個人的には、「単純に必要が無い物は買わない」「自分が好きなものはお金出して買う」「必要だけどこだわらないものは安くてそこそこのものを買う」という当たり前のことがなされているだけな気がする。ガキの頃の経験なんてどうでもよくて、とりあえず「今」、これから先の雇用状況もまともに見えないのに、都会に住む限り大して要らない自動車を買う人が減るのは当然だ。好きな人は好きだから今でも買っている、それだけだ。テレビ以外のことが好きな人が、他から情報を得られる今日テレビを買う必要があるのか。要は、好みやライフスタイルの選択肢が増え、代替手段が多数あり、世間も多様性に寛容となったので、誰もが競って買っていたものを買わなくて済むようになっただけな気がする。