海猿

LIMIT OF LOVE 海猿 スタンダード・エディション [DVD]

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海上保安官が、座礁した大型フェリーから乗客を救助する話。また、同時に恋人ととの結婚を決意するまでの話。
“ファミレスに行って「安っぽい」と文句を言うようなマネ”をするのは大人気ないのだが、それでもどうしても気になるので書いておく。
たとえばパニック映画という側面から考えると、「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」といったかつての名作が思い浮かぶ。前者は、津波で転覆した豪華客船「ポセイドン号」からの脱出劇であった。昔見たので記憶はあいまいだが、脱出までの苦難は何となく覚えている。翻って本作。落ち着いて考えてみると、引火爆発から逃げこんだ先は、脱出不可能と思われた部屋で、30メートルの潜水で脱出、そこから何となく移動したら煙突について、登ろうとしたら転覆して、結局潜水士が助けに来た…とまぁ、ほぼそれだけの内容である。ポセイドン号に乗り合わせたスコット牧師(ジーン・ハックマン)に比べたら、仙崎は大した仕事はしていない。何より頼りない。
では、海保の本部の人間達はどうか。本部と現場とのやり取りというと、たとえば「アポロ13」を思い出す。様々な不測の事態が起きた宇宙船に対して、NASA地上班は心理面、技術面で献身的なサポートをし、見事帰還させる。「シャトル内にある機材はこれだけだ。こいつらを組み合わせて、何とか二酸化炭素のろ過フィルターを作るんだ。」みたいなセリフがあったのを覚えている。で、本作はというと、配管に書かれた番号から、主人公達が逃げ込んだ先の現在地をわりだし、脱出経路を指示する。しかし途中で主人公の交信装置が故障してしまい、その後本部は苦悩する以外あまり仕事していなかったように思う。散々大騒ぎをしていたが、結局隊員退去と、救助の指示くらいだったような。
ヒロインとのやり取りに関しては、もう置いておく。あちこちで指摘されているようなツッコミも、置いておく。
何が言いたいかというと、口当たりのよいセリフに流されなさんなということと、いい映画はたくさんあるんだよ、ということである。
かつて浴びるように映画を観て、日本映画の復興を心から祈っていた我が高校時代から考えると、今日の邦画の隆盛にはただただ驚くばかりである。でも、何だかちょっと違うぞ、これは自分が夢見ていたものとは違うぞ、とおもうのだ。
時折なされる「日本映画なのによくここまでやった」という批評は、作り手への侮辱に他ならない。作り手もそう思っているとしたら、今すぐやめた方がいい。
現在の日本映画を牽引しているのはまぎれもなくテレビ局だが、テレビ局がとくに長けているのは、作品そのものよりも、放映までの持っていき方、すなわち、着眼点や、話題性や、メッセージ性や、配役や、宣伝であるように思う。