舞踏への勧誘

気がぬけて寝てました。ふぁぁ。えっと、はい、生きてます。お騒がせして申し訳ないです。
落ち着いて考えてみれば、「がんばっているからいい」とか「悩んでいるから救われる」という考え方が私は心から嫌いだった。馬鹿野郎、がんばらないでできちゃうほうが偉いに決まってるだろ。がんばるかよりも何やってどうなるかだろ。だいたい「がんばってるんだからっ」という自意識が目障りで、「そんなもん片足でちょちょいのちょいだぃ」と表向きは強がってる方が江戸っ子の了見にあう。(ま、みんな江戸っ子じゃないからいいんだが)。という訳で、自分の嫌いなことを自分がしてしまい、大いに反省。
そもそも私は、何もしないことを一部からずっとずっと怒られ続けてきて、そのたびに「うるせー、なにかやってりゃいいってもんじゃねぇ、学生に何ができる、どうせ自己満足じゃねえか、そんな恥さらしな、なら何もしない方がよっぽどいい。そもそも、『なにかしなきゃ』って、すること自体が目的になるのが気にくわねぇ、やりたくないならやらなきゃいい、好きなことやってりゃいい、こそこそっと実力つけてりゃいい、効果なんて気にしないで、大きさも気にしないで、自分がいいと思うことをいいと思う範囲と方法でやればいい、いつかは運やら機会やら必然性が回ってくるだろうから、そんとき動き出せばいいんだコノヤロー」と、負け惜しみを口の中でもごもご言ってなおさら怒られてたもんだが、ま、そういうわけで予言どおり回ってきた、それがいっぺんにきたというだけのこと。
悲しい哉、いかんせんそういう訳で「忙しい」という経験をあまりしたことがないので、どれもちゃんとできない状況がもどかしくってならないのだが、ならば仕方ない、踊るしかない。踊らされるくらいなら、踊ってしまえ、誰かとステップをあわせる必要もなし、音楽に合わせる必要もなし、たとえ白い目で見られようと好奇の目で見られようと、もしくは誰からもそっぽを向かれようと、
…と、どんだけことばを紡いでも、結局「春に」を見てもらったほうが伝わってしまう気がするこの気持ちはなんだろう〜♪。
とりあえず、思ったことを前後の脈絡を省略して順不同で叫ぶと、だからメタファーはキライなんだ、がんばった分見返りが来る世界っていうのはそれはそれでありがたいよ図書カード、日本語で韻なんかふめるか大事なのはそこじゃネェ、いちごはうめぇ、ドライブは意外に楽しい、飯くらいちゃんと喰わせろ深川メシ素通りで大手町駅構内疾走してホームで10秒チャージで表参道歩きながらおにぎりほおばるのが昼食とかやめてくれよ、カレー食った夜はカレーで寿司喰って帰ると寿司が残ってるのはなぜ、誰か偉くなってスギを根絶やしにしてください、なんかおかしいよ著作権、自分は褒められてもけなされても動じず伸びないタイプだと思っていたけど褒められるとというか喜んでもらえると嬉しいものですね、洋楽は何を言っているのかさっぱり分からない。
お粗末。
追伸 そうそう、ちょっと太りました。ぶひぃ。